思い出の詰まった彼ら

物を捨てることが昔から捨てることができない性格である私は、大学生になり一人暮らしを始めた時に購入したものを就職してから結婚、そして家を購入するまでの16年間ずっと、テレビ台・ベット・本棚・炊飯器・靴箱など多少の損傷が目立つとしても使ってきました。しかし、兵庫でも不用品回収の神戸の業者とはどこかに家を購入するにあたり、そろそろ新しい家具などを買い替えようと重い腰を上げ、大金を叩いて一式買い替えました。そして、引っ越しの前日にそれまで使ってきた家具類を一式粗大ごみとして捨てました。回収の日の前日の夜に回収場所までせっせと運んで行きました。運ぶ毎にその家具との出来事が思い出されました。テレビ台は大学生の時にガラスの扉が傾いてきたため、捨てることを考えましたが大学の同級生に直してもらいました。回転軸の木の部品が湿気で腐っていたことが原因らしく、ホームセンターで購入した木材を削り、取り換えることで元のテレビ台に戻りました。本棚は組立用の釘が組立時にしっかりと取り付けられておらず、本をたくさん収納した結果、ぐらつくようになってきました。就職した時の同期が家具屋の息子だったため、固定用の金具を別途取り付けてもらいぐらつきがなくなり、これまで何の問題もなく使うことができました。これがキッカケで同期とは頻繁に互いの家で遊ぶようになりました。このようにそれぞれの家具にはそれぞれの思い出があり、そんな家具達を運び終え、収集場に並ぶ彼らを見た時はなんだか寂しい気持ちになりました。付き合う時間が長ければその分だけ情が移っていたのかもしれません。テレビ台のように壊れたと思っても少し手を加えることでこれまで通りに使用できることもあります。今の日本が豊かになったと言われます。しかし、日本人の心が豊かになったとはとても思えません。物が溢れることでほしいものがたくさん身の回りに現れ、何でもほしくなります。物を大切にすることを忘れていっているのではないかと思います。自分自身も家を購入することで何もかもを新しいものに変えたいという気持ちが物を大切にする気持ちに勝ってしまい、これまでの思い出の詰まった彼らを手放してしまいました。今は少し後悔してます。この後悔は時々あるものを見ると自分の心に現れます。それは、写真です。実は粗大ごみとして彼らを収集場に出した際に、なぜか写真を撮りました。おそらく、まだ使える彼らを捨てることにどこか罪悪感があり、その気持ちを忘れたくないと思い、そのようなことをしたのかもしれません。この写真は子供との思い出を保存したパソコンの中にあり、子供の小さいころを思い出す時に写真を見たときに一緒に見て、あの時のことを思い出します。「物を大切にする」という気持ちを忘れないために。